一票の格差判決を誅す

私は最高裁一票の格差判決に違和感を感じる。
先ずこの言葉は日本語として如何なものかと思う。
例えば、地域ごとに投票権保持者の何人かに対して一票の投票用紙を与えるのなら
一票の格差があるといえる。
 
今の言い方による格差なら、格差があるのは当然のことで、
これは絶対に解決できない。
国会議員の定数を人口と同じにしなければならない。
 
 
一票の価値が低くて我慢ならん、と言っているのは人口の多い都市圏の有権者というか、
問題にして仕事を増やしたい弁護士なんだが、
都市圏は生活するに大変便利で好んで人口が増えている地域だ。
相対的に少ない議員で政治が行えて効率的な模範的地域と言える。
 
考えてみるといい。
好んで一票の価値が高い地域に住みたいという人はいるのだろうか?
生活をする上で一票の価値は、住むための条件として
一番最後に選択される条件ではないのか。
 
そもそもこんなことは裁判で決する事柄ではない。
今、NHK日曜討論で国会議員が話しているが、
裁判で決すると言うことに違和感を感じるという発言がないのは嘆かわしいと思う。
 
議員数は、地域の面積に比例しても良いと思うぞ!


国際連合の総会は全加盟国で構成され、各国が1票の表決権を有する。
 
最高裁判決
 
国連は各国の人口に応じて投票数権利を持たねばならない!
 
そんなアホナ^^;
中国は喜ぶだろうな。
密かに最高裁判事をその方向に向けて工作しているのだろう。


一票の価値が低いと言っている地域は、
投票率が著しく低い。
その結果、投票されたその一票の価値は高くなっている。
一般国民は、そうやって価値の平等化を図っているのだよ^^;