洲之内徹と現代画廊 その2

イメージ 113日、久万高原町の久万美術館へ行った。
三坂峠は凍結しているらしいが、バイパスの久万道路は冠雪もなく、通行できた。
今日14日は降雪のため、バイパスも凍結していてチェーンが必要らしい。
 
 
 
 
 
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久万美術館は何年ぶりだろうか。
智内兄助展以来だから、13年ぶり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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館内の照明は県立美術館より明るかった。
スポットライトはLEDライトを使っている。
紫外線や赤外線を含まない白色LEDライトは、
美術品照明に適している。
 
展示している作品は県立美術館より概して明るい雰囲気の作品が多かったのは、決して照明の明るさによるものではないけれど、少しは作品の本質をよりよく見せる原動力になっているのは間違いない。
 
NHKニュースで、県立美術館の展覧会の様子が紹介されたが、絶対あんな風には見えない明るい映像だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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目指す「ポワソニエール」は、会場の右奥にあった。
 
実物を眼にすると、モデルの女性は聖母マリアのようで、頭に掛けた頭巾というか布がマリアベールに見えた。
 
大きな図版の印刷物を見たことはないけれど、
絵の具のキレや塗り肌、乾燥による亀裂。
当然だけど克明に見えた。
 
徹は中国戦線でこの絵の複製に出会い、大いに癒された。
 
そして、戦後になって元首相・原敬の子息の家で劇的な出会いを果たす。
 
海老原喜之助
知的な詩情とアンティームな庶民の生活感情がただよっている(洲之内徹
 
 
 


いろいろな彼の文章、自筆原稿が展示されている一室があり、
その中にこんなエッセイがあった。
*
「アルプ」(創文社)第217号 1976/3/1
これからは絵の代わりに
 
鉛筆淡彩の、曽宮さんのこの山の絵が私の手に入ったのは、
曽宮さんが眼を悪くされてからであった。
ほぼ四十年前の、曽宮さんの壮年の頃の作品であるが、
お目にかけたくても、いまの曽宮さんはそれをごらんになることができない。
作者が自分で見られない絵を私が見ていると思うと、
不思議な気持ちである。
視力をなくされてからの曽宮さんは、随筆によく夢のことを書かれるが、
あの文章は恐ろしい。
恐ろしいが、非常に貴重なものにちがいない。
曽宮さん以外の誰にも書けない人間記録であるからだ。
夢だけに限らない。
これからは、絵がだめなら、せめて、その貴重な文章を書き続けていただきたい。
 
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本誌のその絵は、山並みと空の雲が描かれているが、
雲がなんだか人の横顔に見えた。
 
ちょっと、佐村河内守ゴーストライター事件を思った。

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ロビーには、自宅で行方不明になっている雑誌「アトラス」の洲之内徹特集号があった。
表紙の写真は記憶にあるが、その撮影場所は彼の元自宅跡ではなかった。
 
本誌の後半の記事が映画「がんばっていきまっしょい」関係であったことには驚いた。
どっちかいうと、当時はこっち目的であったような気がする^^;)。
 
 
美術館を出ると、雪が舞っていた。
 
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