新聞報道の限界

今日は自治会の環境整備野外活動があった。
それを「道削り」と呼んでいるが、地域の道の清掃や水路の泥上げ、ため池の堤防草刈等である。
戦後まもなくは、道路は未舗装で轍がはなはだしく、
年に数回は文字通り、路面を削って平らにしなくてはならなかった。
 
今や大抵の道は舗装されて、実際の作業内容は大いに変わってしまった。
と言っても、それは非農家の話であって、
農家の作業内容は今も昔も変わらない。
 
さて、水路の泥上げをしながら、また、30分おきの休憩中に世間話をする。
 
我が伊予市は温暖な気候で、災害はほとんど起きない。
今日は南海トラフ地震の防災訓練日だったが、
防災無線放送が流れたものの、こちとら泥上げ中で、何のことやらだった^^;
 
世間話で、この暢気な伊予市に突然沸いた女子高生死体隠匿の話になった。
昨日だったか、逮捕者が4名から8名になった。
暴行を受けてなお、逃げずに女の家に戻って暴行を受け、
死に至ったのである。
 
新聞報道では、その女の家庭の様子は分からない。
今日の世間話で納得した。
新聞報道はうわべだけで、人間関係のどろどろは伝えない。
お上品でなければならない機関の限界だと思う。
週刊誌でなければ、真実は分からない。