佐田岬半島
天候がいいので、予定通り佐田三崎岬半島へ行く。
中村修二氏の記念碑が除幕されたというニュースを見たからだ。我ながら、ミーハー振りに呆れる。
場所は、国道197号線の大久にある休憩展望所。
簡単に言えば、トイレ休憩所である。
南の宇和海に向かって建立されているので、日差しは逆光になってしまう。
夏至前後の朝か夕方でないと太陽光は当たらない。
LEDの碑に相応しいかもしれない^^)。
敷地の南斜面は桜の木がたくさん植えられていたのだが、展望視界を得るためだろうか、切り倒されていた。
佐田三崎岬半島は、伊方原発がある。
風力発電塔が林立している。
こんな風景を中村さんはどんなに見たのだろうか?
三崎港を15:30発のフェリーが出て行く。
引き返して197号線の旧道を大久に向けて走る。
ここで中村さんは生まれた。
大久の集落を過ぎて、再び国道197号線に登っていく。
道の駅「瀬戸農業公園」の敷地内にある
河野兵市氏のリーチングホーム祈念碑に行ってみた。
初めてだった。
なぜ「記念碑」ではなくて「祈念碑」なのか?
それは、
果たせなかった計画だったからだ。
北極点からこの地まで、徒歩で帰るという冒険の旅だった。
残念ながら、河野さんは氷の割れ目・リードに落ちて亡くなった。
彼は、温暖化で緩みがちな氷原を急いでいた。
橇に荷物を積んで、橇を曳くロープを身体に縛り付けて黙々と歩んでいたのだった。
このロープのおかげで発見が早かったらしい。
そのことも想定済みだったのだろうか?
コーヒータイム休憩で前輪を見たら、タイヤの地肌が見え始めていた。
カーブがなんとなく不安定だったのはこのためだった。
あと2,3回の走りで交換しなくてはならない。
およそ1万3千キロの寿命だった。