宇和島市立歴史資料館

イメージ 1
 
宇和島歴史資料館へ行くと、愛媛教育委員会が編集した
「愛媛 子どものための伝記 第10巻 高畠華宵 矢野橋村 杉浦非水」
が置いてあった。
ぱらぱらめくっていると、見覚えのある挿絵が出てきた。
吉川英治作:宮本武蔵の挿絵である。
その挿絵は矢野橋村(やのきょうそん)の作だった。
愛媛出身だったのか!
調べてみると、日本南画界の重鎮であった。
およそ華宵、非水とは相容れない画風の、
オーディオで謂えば「シーメンス・オイロダイン」のような存在と言うべきか。

華宵の部屋は「遊び」に関する展示で、その中には
華宵作ではないが、子ども「遊び」絵はがき23葉を展示していた。
幼児の博多人形をちょっとだけ中国風にしたような容姿で、
こどもの悪戯盛りの数々を絵はがきにしている。
子どもはほとんど半裸である。
江戸期から明治初期に掛けて日本を訪れた外国人には、
日本は子どもの天国
という感想を持ったという。
今ではお上品なかたがたが眼の仇にして排斥してしまった、嘗ての日本の風景のひとつなんだろう。

展示のテーマとはかけ離れたパネルがあった。
添えられた写真は大正期の運動場にある懸垂棒を登る学童。
 
「一青年の思想の歩み」
嶋田厚「大正感情史」
*
まもなく大隈内閣によって、ドイツに宣戦するはこびになり、
広東省におけるドイツの租借地を攻撃することになったが、
それは国民の気持ちにとっては、すこぶるダルな戦であった。
これは負ける気づかいのない戦争である。
味方の国は多いし相手の軍隊はその国を遠く離れて孤立している、
それになんのための戦争か、私たちの心に少しもひびいて来なかった。
・・・この戦争によって子供たちの心にしのびいった感じでは、
自分たちの国も弱いものに対し、
ただ利益だけのために戦争をしかけたのではないかということであった、
そのことは、私たちが学び信じていた日本精神の道義的精神とはちがうものであった。
したがって、それは私たちに、
いま光栄ある時期だという感謝をあたえてくれなかった。
*
*
句読点の表記はそのまま書き写したつもりだが、
間違っているかもしれない。

歴史館の職員さんと少々歓談した。
宇和島伊達400年祭のパンフレットをいただいた。
なかなか仕事熱心だ。
 
華宵の絵をスケッチしている怪しい人物ということで、
私のことを大正ロマン館の方と話したらしい^^;