元号:光格(こうかく)

NHK9時ニュースで、天皇退位ニュースに関して
200年前に生前退位をした天皇の話があった。
その天皇


光格天皇(こうかくてんのう、明和8年8月15日1771年9月23日) - 天保11年11月18日1840年12月11日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日1780年1月1日) - 文化14年3月22日1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。は初め師仁(もろひと)としたが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。

こうかく(光格)と聞いて、いい響きと思った。

平成を決定する際は、明治M 大正T 昭和Sというアルファベットも考慮されたと言う。

しからば光格Kはいかがだろうか!


博学多才で学問に熱心であり、作詩や音楽をも嗜んだ。また400年近く途絶えていた石清水八幡宮賀茂神社の臨時祭の復活や朝廷の儀式の復旧に努めた。さらに平安末期以来断絶していた大学寮に代わる朝廷の公式教育機関の復活を構想したが、在位中には実現せず、次代の仁孝天皇に持ち越されることになった(学習院 (幕末維新期)参照)。
文化14年3月22日(1817年5月7日)、仁孝天皇に譲位。翌々日の3月24日(5月9日)に太上天皇となる。平成29年(西暦2017年)3月時点で最後の上皇である [1]天保11年11月18日(1840年12月11日)、崩御。宝算69歳。
現在の皇統は、光格天皇から続いているものである。

なんというか、相応しすぎて恐ろしい^^;)。