椿山(つばやま)

イメージ 1先般、K100RSで池川から久万町に抜ける際に「椿山」の看板を見た。
20数年前に椿山に行った事があるが、場所はもっと南の山中だったように記憶していたが、地図を調べてみて記憶違いが分かった。

当時、今日と同じCB550FOURで行ったが、ルートは記憶から消えていたのだった。

久万町仕七川から494号線に入る。右へ行くと赤蔵ヶ池。近いうちに行くつもりだ。
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愛媛県高知県の県境を通過。
この写真を撮った直後、大型バイクが同じ方向に走っていった。
最近は、バイクの銘柄がさっぱり分からなくなってしまった。

しばらく難路を下っていると、先ほどのバイクが止まって地図を見ているようだった。




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この分岐点から椿山に向かう。

先ほど、停車していた大型バイクが、ここで再び追い抜いて行った。







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道路工事で通行止めのところを迂回ルートに入る。
由緒のありそうな神社があったが、先ずは椿山へ。


意外に家屋数が多い集落があった。
大野地区というらしい。
林業とお茶栽培が産業のようだ。

ここを通過してすぐに細い道となり、ひたすら先へ進むと椿山だ。











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斜面に張り付く数件の家の横を通過。
ここが椿山かなと思いつつ、さらに進むと舗装が切れて、椿山林道基点の杭があった。イメージ 16

先ほどの数件の家があったところが椿山だ。
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もと来た道を下っていくと、家が見えた。
椿山の一番高いところにある民家のようだ。イメージ 7

















カーブにあったお墓に寄ってみると、案外広いところに多くの墓石が並んでいた。平成に入ってから建立した墓もある。
遠くに滝らしいものが見える。五色の滝と思われる。
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集落の中を下っていく。
この手前で左に分岐があって入ってみると人家の庭口に出た。
思い出した。
前回は、ここで住民のおばさんと話をしたのだった。

今回は、人気は全く無かった。
ヘルメットを取って辺りの音に耳を澄ませたが、聞こえるのは小鳥の声と、渓のせせらぎの音のみ。

椿山交流センターという集会所があって、車が数台停めてあった。
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上ってくるときは、家屋が数件しかないように感じたが、下ってみると案外多くの人家があった。
グーグルマップから考えると、最盛期は50軒以上あったのではないか。
日本では最後の焼き畑農業を営んでいた集落だ。
今では、所謂限界集落
10年もすれば、ほんとうに人の気配は無くなる。
年に数回、家の掃除に訪れる人のみとなる。
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下る途中で杉を伐採している人に会った。若者二人を連れていた。
今は今治に住んでいて、家の管理や樹木伐採に年に数回訪れるのだそうだ。


初めてここを通ったひとは、どんな気分だったろう。

おそらく、源氏の追っ手を気にしながらの山行きだったのだろう。
それは物凄い恐怖心がそうさせたのだろう。
当時は岩の斜面に滑り落ちない足掛かりがあるだけの難所だったに違いない。
この向こうに、まさか人が住んでいるとは信じられない、それこそが、ここに至った平氏の狙いだったのだろう。










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工事現場手前で迂回ルートの橋を渡る。

交通整理の警備員さんと少し話してみる。
通行車両は土曜日であり、殆ど無いそうだ。

いろいろ、廃れていく山村のことを話してみた。イメージ 13






由緒のありそうな神社の境内に行ってみた。
大きな石造りの階段を上っていくと、立派な拝殿が現れた。
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河嶋山神社という。


















立派なつくりの神社拝殿。
写真を撮っていると、軽四バンを境内に停めてあったおじさんが話しかけてきた。
渓流釣りにやって来たらしい。

建築内装の仕事をしている人らしい。イメージ 15
立派な社殿を造ったものの、いまや維持管理の住民が少なくなって、いつまでもつか心配だといっていた。



切り紙の飾り? が吊り下げてあった。
願いの文言を刻んである。

帰りは元来たルートを引き返す。
高知に入ってから椿山まで、いつ着くのやらという距離を感じたが、帰りは半分も無い感じがした。
愛媛に入ってから、全く同じルートはつまらないので、岩屋寺方面にルートを取る。
550のエンジンは、少し重たい回転をする。
K100と比べるからかな?
タイヤはしっかりグリップしてくれて、やっぱり新品タイヤは快適だ。
無事帰宅。