御開山 龍天寺 天長寺

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新聞記事は、戦後入植の開拓地という紹介だったが、現地を訪れて龍天寺跡という史跡を見つけたことから、思いも寄らぬ展開になった。

現地で取材(笑)した小母さんの話しによると、龍天寺は薩摩藩島津氏所縁のお寺であり、今では城川町の龍澤寺に場所を移しているということであった。

仏教では、人里離れた修行の地を定めることを、その土地をして「開山」という。
「御開山・おかいさん」というこの地名は、正しくそのことではないか。

1323年(元亨3年)に開山。
鎌倉時代の頃である。
小母さんの言った通りだった。

龍澤寺は、1433年(永享5年 室町時代)に、薩摩藩島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名した。(ウィキペディア

龍澤寺は数回訪れたが、その時は島津氏との関係や、丸に十文字の家紋には気付かなかった。

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これは、松前町横田にある地久山・天長寺である。
当家の菩提寺である。
両親が亡くなったとき、曹洞宗が宗派であることが分かった。
当時、本堂は老朽化し、廃寺同然の佇まいだった。
住職は不在で、北伊予の晴光院の住職が兼任している。
私が喪主として法事を執り行った時、寺の瓦に丸に十文字の家紋があることを初めて認識した。
伊予の地に、どうして島津家の家紋がついているのだろうかと思った!


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これは、旧本堂の鬼瓦だと思う。










新しい本堂は、小さいながらも格調の在る立派なお堂に出来上がった。
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1653年(寛永12年)、松平定行が松山藩松平家初代藩主として入国した。
その頃、庄屋松崎家は遠州掛川から伊予の国に移り住んだ。
横田村の庄屋となった松崎治左衛門政起が敷地内に菩提所として霊廟を建てた。
嫡男・与左衛門政澄が増改築して天長寺とした。

ここまでには島津家との関連は良く分からない。

松前教育委員会の由来看板の文章には、
本堂の扁額は定行に同行してきた薩摩藩ゆかりの
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僧・月舟賢順の書であると書かれている。
山門にあるこれが旧本堂の扁額のようだ。
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松平家と島津氏は、何か関係が有るのだろうか。

龍澤寺は曹洞宗だそうだ。

島津氏は曹洞宗なのだろうか。

御開山 龍天寺 龍澤寺 天長寺と、島津氏所縁のお寺が繋がった。

なんと言うか、身近にこんなことがと思ったのだった。

大河ドラマ西郷どん」は見てない。
見たほうがいいのだろうか^^;)。

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