広島交響楽団第391回定期演奏会 奥井紫麻
広島宇品港行きのフェリーが入港してきた。
運賃大人¥3600
往復を買うと、復路が一割引になる。
港の民間駐車場は、12時間¥500、24時間¥800である。
12時間では帰れない。
天気予報は一週間前から見ているけど、だんだんよくなって、一日天気は持ちそうだ。
定刻に出港。
定刻に入港して、広島電鉄乗り場に行くと、数両の電車が停まっていた。
市役所前で降りたいので、Cホームの電車に乗る。
割りと新しい普通のボギー車だ。
隣に停まっているのは、関節が中央に付いている、連接(?)車。
全部で二軸ボギーが三台有って、中央のボギーが、関節位置にある。
緩衝装置は、スプリングではなく、ゴムみたいだ。
午後一時少し前に市役所前に到着。
午後一時に広島在住のN氏と落ち合う予定になっていたのだが、それらしい人物は居なかった。
暫く辺りを見回して待つ。
間接が四箇所有る。
車輪の配置が興味深い。
N氏は橋本町の住人なので、そろそろ来ないかなあと待っているが、来ない。
!!怪しい人物が先ほどから誰かを待っている雰囲気。
N氏だった!! 30年ぶりなので、無理も無い^^;)。
コンサート会場のレストランで昼食にする。
次に広島に来るのは、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」再演かな、などとアホナ話をした。
2時半に会合が有るというN氏と別れて、HBGホールに入場する。
客席数2000人である。
チケットぴあで、3-40の席を取った。
前過ぎると思ったが、仕方が無い。
A席 ¥4,700である。
結果的に、この席は良かったと思う。
コンバスは6本(コンチェルトの時は4本)だったが、良く響いた。
広島交響楽団は、アンサンブルがしっかりしていたと思う。
音色も乱れない。
左右バックにティンパニーが配されていて、最初は何だと思っていたら、最後の曲で大活躍したのだった。
オケのバイオリンは全体から音がしているが、何故かビオラは一箇所から音がする様に聞こえた。
ホールの反射の関係だろうか。
一曲目は、ステンハンマルの交響的序曲「エクセルシオール!」
当日の冊子をみて気付いたが、曲名に「!」が付くなんて尋常ではない。
今調べてみると、これが正式名称らしい。
実は、YOUTUBEで事前に聴いてみた。
演奏は、最初から音が鳴っていて、オヤッと思った。
曲が終わると、上手からピアノが運ばれてきた。
下手の舞台裏に奥井さんの姿が見えた!
ピアノには、専用のマイクスタンドが設置された。
90度に開いたペアマイクは、意外に無造作に置かれた。
指揮台の周りには4本のマイクが立っていたが、もっとあったかもしれない。
記録用にしては、それなりというか、中途半端ではない・・・・。
天吊りマイクも稼動しているはずだ。
奥井さんは、川崎の時と同じドレスだった。
また少し身体が大きくなっていた。
女性らしさも出てきた。
グリーグは昨年の西宮以来である。
第一楽章のカデンツァが印象的だった。
実は、西宮の時は、カデンツァがあったか無かったか、あるはずだけどあまり印象に無いのだ。
聴き入った。
奥井さんは、口元が見えるか見えないかくらいだった。
開いたピアノ蓋にホンのチョッと指先が映った。
ペダルに合わせて動くダンパーは良く見えた。
オケの強奏では、ピアノの音がかき消されるが、概ね粒立ちのよい音が聞こえた。
ペダリングの操作の按配も大変良く分かった。
実は、ピアノコンチェルトのCD,レコードは持ってない。
このあたりの収録は、音が聞こえるのだろうか?
奥井さんの演奏は、後で思い起こすととても短く感じる。
演奏速度が速いというのではない。
弛緩したりよどんだりすることが無いからだと思う。
心地よい緊張感が音楽を支配して、空気を満たしている。
曲が終わって、思わず「ヨ~シッ!」と声が出てしまった。
アンコールを弾いたが、何か分からない。
宇和島の時とは違う曲ということは、分かったが。
三曲目のニールセン「不滅」は、駄作だと思った。
音楽雑誌を見始めたころに「不滅」は名前負けしていると書いていたような記憶がある。
今回、初めて聞いたが、音の響きはそれなりだが、惹き付けられるメロディーラインが欠如していた。
なんというか、演奏大会用みたいだ。
「不滅」というニールセン自身がつけた名称に、一度は演奏してみたいと演奏家に思わせる、それだけの曲だと思う。
演奏会が終わって外に出た。
広島交響楽団メンバーらしき白いバイオリンケースを肩にかけた妙齢の女性が歩いていたので声をかけた。
広響の方ですかと聞くと、エキストラだという!??
エ、、エキストラ??
今調べると、「音楽の分野では、楽団などの演奏に正メンバーなどの代理として臨時出演する事。」だそうな。客演奏者、ということだろう。
奥井さんのリハーサルについて聞くと、昨日今日と二回の通しをしたという。
交差点で別れるまで、奥井さんのことを話し合ったのだった。
つづく