怖ろしい東京

先日、新海誠監督の「天気の子」を観た。
劇中、たびたび言われる台詞が、
「東京は怖いところだ」
である。
そこの青少年たちよ、怖い東京なんぞに憧れを持っちゃあいけねえよ!、といいたいのだろうか^^;)。

敬愛する作曲家、吉松隆氏のホームページに、その怖い東京についての記事があった。
全文、コピペで紹介する。



3500円の歪んだ神話

http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/images/img_3797.jpeg 貧乏作曲家をやっていた20代半ば(40年前!)、アジアの隣国から日本に音楽を勉強に来ている留学生が身近に何人か居た。コンサートの後、数名で居酒屋で食事をし、最後に「お勘定は割り勘で一人3500円」ということになったのだが、そこで顔面蒼白になったのが隣国から来た作曲学生のB氏だ。「私の国では3500円あれば一家四人がひと月食べられます」と言うので、「じゃあB君の分はみんなで出そう」とみんなでカンパ(もう死語だが、寄付を募ること)する事になった。(ちなみに私も、一晩の食事に千円札数枚を払うなど生まれて初めての経験!という貧乏時代。同じく顔面蒼白になったのでしっかり記憶している)
・・・のだが、当の彼にとってこの出来事は「日本人が親切にしてくれた」という思い出ではなく、「日本で嫌な思いをした」という記憶として残っていると風の噂で知った。日本に音楽を勉強に来るくらいだからその国では恵まれた家庭に育ったはずの彼からすれば、食事の代金を支払うことができずに恵んでもらった…というのはプライドを傷付けられ、親にも先生にも言えない屈辱的な話。彼の中ではいわゆる黒歴史として屈折したまま蓄積されていたようだ。
なけなしのお金をはたいて友好関係を築いたと思ったら、相手はそれを感謝するのではなく逆に恨みを募らせていた、というのはどこかで聞いた話すぎて複雑な気持ちになるのだが、当人はさすがに心の底から感謝の念がゼロだとは思わない。しかし、その話を漏れ聞いた子供や知人たちが恨みの部分だけを歪めたまま肥大させて「謝れ」と言い出したら、一体何に謝ったらいいのかポカンとする「A」と、悪い事をしたのに謝らないとひたすら非難する「B」の構図が出来上がる。
何だか知らないが謝っておけばいいよ、減るもんでなし。と言って「ごめん」した先輩も居たが、本心から悪いと思って謝っていない、と言われればその通りなので、謝ったところで恨みが解消する気配はない。何しろ悪かったと思っていない(そもそも何が悪いか分からない)のだから、などと本音を言うと話は余計こじれて収集がつかなくなる。こうなるともう歪んだ神話を修正するのは不可能に近い。そんな昔話はすっかり忘れて奢られ合う新しい世代が台頭するのを待つしかないのかも知れない。
…などと書いている私自身が、水と枝豆数粒で3500円払ったその時のことをこうして40年経った今でも鮮明に覚えているわけだから、恨みに根付いた記憶は怖い(笑)


たぶん、銀座で飲んだのだろう。
「水と枝豆数粒で3500円」
というのは、誇張があるかもしれない。




韓国とは、国交断絶とは行かないだろうが、
似たような顔立ちの人種の国だからという思いだけは、即刻削除するべきだ。

和をもって尊しは、国内だけで通用するもの。
対外国には、毅然とするが良し。