長浜赤橋の弾痕

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新聞の読者投稿にあった長浜赤橋の弾痕を見に行った。

何度もここは通っているけど、気にも留め無いと云うか、言われて見て、そういうことがあると聞いたことはある。

大東亜戦争当時の、米軍機の機銃掃射の痕が残っているのである。


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気にしながらバイクで通過してみると、弾跡に矢印がしてあるのが判った。
しかし、新聞投稿には、矢印がなかった。

橋の袂の観光駐車場にバイクを止めて、徒歩で弾痕を探した。

見つけた弾痕を写真に撮っていると、青年が一人、近づいてきた。

私の行動に興味を持ったらしく、すこし話す心算が、長話をすることになった^^)。
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親戚宅に来ており、近くを徘徊しているのだという。
弾痕のことは知らなかったので、愛媛新聞の記事を親戚宅で見てはどうかと話した。
FM愛媛に勤めているそうで、名刺をもらった。
営業のM君という。
まだ30前の青年。

戦争の話しから、映画の話に、バイクの話にと、ちゃんぽんの話になった。

話しながら歩いていくと、新聞投稿の弾痕が見つかった。

イメージ 4すぐ下の欄干には、説明プレートが取り付けられていた。妙な取り付け方だなあ。イメージ 5













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厚さ1cmほどの鉄板をぶち抜く弾丸が、人に当たれば即死・・に違いない。

親子連れがやって来た。
同じく、新聞記事を見て来たのだろう。

M君と別れて、駐車場に戻ると、出入り口にチェーンが張ってあった。
午後5時を過ぎたからだ。
簡単なフックを引っ掛けるだけのチェーンだったので助かったというか、もう一台、車が留まっているのだった。

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丁度、クルマのドライバーも戻ってきたところだった。
チェーンを掛けてもらった。






帰りに下灘の海に沈むレールを見たが、誰も居なかった。人が来ないように汚してしまったので、関心が薄れたのだろう。

今日の下灘駅
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