コクリコ坂から (7) 遠景の人物
「ゲド戦記」で、主人公の背景にいる人物描写が
とても杜撰なので、妙に印象に残っている。
「コクリコ坂から」では、画面の奥のほうにいる海と俊の表情が
よく分からないというか
てきと~~に省略されて描かれていた。
そのほか、父親三人の集合写真と、何かのメモ書きだったか
輪郭線くらいに省略されていた。
意外にも、俊の発行する新聞は、そんなに違和感が無かった。
手書きアニメーションで主要物をロングで捕らえなくてはならないとき
そのほかの作品ではどうしているのか?
思い当たらない、そういう違和感を感じたことは無い。
何故だろう?
他の作品には、ロング描写が無いのだろうか。
描きにくいので意識的に避けられているのか。
宮崎吾郎作品には、ロング描写が必要なのだろうか。
必要か必然か
脚本からイメージする吾郎監督には必然なのだろう。
そして、無理を承知で
いや、
素朴に描いてしまったのではないか。
当然チェックは入るだろうが、流れのなかに埋没して見過ごされた?
ちょっと話は違うけど
「白蛇伝」の一枚のセル画にミスが残ったまま編集されてしまったことがある。
白娘の耳飾を描き忘れていた。
そんなこともあるのだ。