くちびるに歌を

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愛媛県では最終上映になる27日、シネマサンシャイン重信レイトショーを見た。
実はあまり関心の無い映画だった。
2週間ほど前に、新聞読者欄にこの映画のことらしい投稿が載った。
79歳男性の投稿で、
 
「予告編では耳をつんざく音量で、拷問にあっているようだった。」
「本編は中学生の合唱を中心とする映画だった。これも、実際のコンクール会場などで耳をそばだてて聴くときの雰囲気とは異なっていたが、それでも一定の感動は味わうことができた。」
「残念ながら、今でも左耳には耳鳴りのような異常な感じが残っている。」
 
という、聞き捨てならない内容だった。
ある映画評論Webをみてみると、大変評判が良い。
合唱については、興味のあるほうだ。
投稿者はシネマサンシャイン衣山で見たと思うが、都合で私は重信で観た。
音量は経験上、それほど違いは無いと思われる。

レイトショーの観客は私を含めて5名。
前列左前に中学生らしい男子が座って、ゲームを始めた。
予告編が終わればゲームを止めるだろうと思って我慢していたが、
本編タイトルが映し出されても止めないので、
思い切り座席の背中を蹴ってやったら止まった。

音量なんだけど、予告編はまあ派手な音だけど、別段どうってことはない。
先般の加山雄三ショーはかなりでかい音だったので、
くだんの爺さんなら卒倒失神するかもしれないな。
映画予告編(特に海外の特撮物)の独特の重低音に爺さんは初めて触れて驚いたのだろうか?
 
私の心配は、邦画独特の音の悪さというか、台詞の聞き取りにくさというか、音響の蔑ろさにある。
この映画も、台詞がぼやけてAMラジオを聴いているみたいだったが、次第に慣れてきた。
観ていて気づいたのは、
この映画はアンジェラ・アキの「手紙~拝啓十五の君へ~」がモチーフになっていることだった。
後で調べると、その正反対というか、「手紙~拝啓十五の君へ~」を基にして
エピソードを付け加えて出来上がった作品だった。
 
実はこの曲は、嫌いなのだった。
なぜかNHKのど自慢で歌われることが多く、人気曲なんだろうが、
嫌いは嫌い。
悪い予感がした。
物語は産休の先生の代わりにやってきた臨時教員と合唱クラブ員との
確執、和解、協調といったことが描かれる。
臨時教員は都会からやってきた美人のピアニストと言うことだったが、
私には産休の先生の方が魅力的でチャーミングだった。
 
合唱クラブは県大会に出場するためにいろいろ努力するのだが、
どうもその上達が良く分からない。
臨時教員は「あんたたちは、へたくそなの。分かって無いわね」という。
途中から先生はやる気を出して指導をするのだけど。

この映画は「手紙~拝啓十五の君へ~」があって出来上がった映画と言う。
合唱が上達して優勝するというのがこの映画の筋書きではない。
産休の先生。臨時教員の過去。部員の境遇。
それらが交じり合って少しづつ良い方向に進んで行く。
しかし、どれも弱い気がする。
設定に無理がある。
 
臨時教員はプロのピアニストだったが、コンサートに駆けつける恋人が事故で亡くなってしまう。
強く誘ったことがトラウマになってピアノが弾けなくなる。
雨の日にバイクで事故なんて、あつらえすぎでは無いか。
 
合唱部員の男の子の兄は自閉症だ。両親は自閉症の兄を支える者が必要だとして弟を儲けたという。
せいぜい4,5歳で自閉症だとか分かるのだろうか。
男の子がそう思っているだけかもしれないが、そんな目的で子どもを生むなんて、
とんでもない親だと思った。
もう一点気になったのは、カメラのことだ。
被写界深度が変なのだ。
屋外なのに何故か被写界深度が浅い。
夜の室内なのに何故か被写界深度が深い。
狙いが分からない。
 
この映画は「手紙~拝啓十五の君へ~」を聴いた感じそのもののような気がする。
凡庸なメロディーライン。
感性の閃きや跳躍が無い詩。
 

あのゲーム中学生が居なかったら違った観方が出来たかもしれない。