伊予市郷土文化講演会「源範頼 正岡子規 夏目漱石」

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イメージ 2伊予市上吾川のお寺で文化講演会があった。
場所は稱名寺の本堂。
講師は田中和彦・南海放送社長。
稱名寺のすぐ傍に鎌倉神社があり、ここに源範頼の墓がある。
写真の池の向こう側の林の中である。
何年前だったか、自治会の行事で故郷探訪ワークショップが行われて、私は鎌倉神社の説明担当になって、色々調べたのだった。
 
鎌倉神社には、漱石と子規が訪れて俳句を詠んだ。
源範頼が神社裏手に葬られて(祀られて)いることが根本にある。
イメージ 3漱石と子規といえば、母校ゆかりの人物だ。
その話を田中社長(愛光学園卒業)がするというので、なんというか、外様の講釈を聞いてみようではないか、というちょっと斜に構えた心持で出かけたのだった^^;
 
田中社長は社長になっても相変わらずの話し方だった。
源範頼に異常に入れ込んでいる雰囲気。
なにしろ、源範頼と子規と漱石を絡めてラジオドラマを作った人物。
隣町の松前町には「儀農作兵衛」という愛媛では有名な人物がいるが、伊予市には匹敵するものが無い。
それで鎌倉神社ゆかりの源範頼を担ごうとしている^^
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平成の合併で伊予市松前町と合併しようとしたが仲が悪くて合併しなかった。
合併してたら今日の話は大分違ったものになったかもしれない。
 
源範頼の話は、日本三大仇討ちのひとつ、曽我兄弟の仇討ちと非常に関係がある。曽我兄弟の首塚というのが伊予市の隣の内子町大瀬(大江健三郎生地)にある。
 
だから、今日に話には曽我兄弟のことが述べられると思っていたら、資料に「1193年 曽我兄弟の仇討ち事件で「吾妻鏡」に源範頼の名前が・・・」だけだった。
今日の聴講者はおそらく歴史通ばかりなので、はしょったのだろう^^;
 
それはともかく、子規と漱石がここを訪れたのは源範頼の墓があったからに違いなく、それは二人の詠んだ俳句に明らかであると田中社長は宣言した!
 
でも、ここに源範頼の墓がある物語は、無きに等しいのだよ!
イメージ 5この墓は江戸末期に建てられたそうで、以後の何度かの震災でずれが起きている。
前回の南海地震ではどうなったのだろう?
それ以後は大きな地震は無いので、今のずれが当時の記憶だろうか?
人為的な、例えばいたずらによるずれなんだろうか?
近々起こる南海トラフ地震ではどうなるのだろう。
 
 
 
 
 
 
イメージ 6稱名寺の境内に面白いものを見つけた。
寺院にも手水舎がある。
これに漱石の「漱」の字があった。
 
漱石」とは、石で口をすすぐという意味で、夏目金之助一流のジョークである。
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参加者は100名を越えていた。
 
田中社長の際どい発言も有ったが、面白かった。