東京迷い旅 ドクター・コッペリウス 後編

イメージ 112日の朝、七時すぎに目が冷めて、お湯を沸かしてお茶とコーヒーを飲む。
NHKのニュース深堀を見ながら10時前のチェックアウトまで時を過ごす。
トランプ次期大統領の話題。
アメリカでは反トランプの激しいデモが起きてるそうで、アメリカの民主主義の化けの皮が剥がれるのを見た。
韓国はもとより民主主義は無いと思っていたので、朴大統領騒ぎは、通常運転に見える。
日本が民主主義の優等生かもしれない。
 
チェックアウトして愛宕神社に行くと、婚礼が行われていた。
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NHK放送博物館へ行く。
SONYのテープレコーダー一号機を写す。
冨田さんのシンセサイザーを見る。
四階のアーカイブスルームへ行く。
冨田勲」で検索すると1980年女性手帳の番組があった。
 
音を創る(1) シンセサイザーとの出会い
 
それまでドラマの付帯音楽しか作曲してこなかった。
シンセサイザーだけで作るLP作品で勝負が出来そうだ。
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オーケストラ作品で、今鳴っているフルートの音を変化させたい。ミキサーさんは、その操作を拒否。
 
自分で頭の中に鳴る音をシンセサイザーで具体作品化できる!!
 
既成の楽器では出ない音が響く。
 
羽田に到着したモーグⅢは、取り扱い説明書が無い。
途方にくれた冨田さんは、先ずNHK電子音楽室の塩谷氏に二日間にわたって電子音楽の装置として基本なることを教えてもらったそうだ。
 
イメージ 4レコード一枚分の作品を完成するのは7ヶ月を要する。
 
もう今回でやめようと制作中は思うが、イザ完成すると、また作りたいと思うようになる。
 
最近も聞いたような・・・^^;)。
 
新日本紀行」の冒頭だけを数作品試聴。
加賀美アナウンサーが、あの有名な冨田さんの音楽を聞いてみましょうとアーカイブス番組の冒頭で述べる。
目頭が熱くなる。
 
イメージ 5スタジオ体験コーナーに寄って、先般オーチャードホールの音について話したスタッフを探したら居た。
あなたの仰っていたことが分かりましたと伝えた。
ステージ両袖にはSRスピーカーが埋め込まれていて、その音を私はもろに聞いたのだった。
東京国際フォーラムのホールでのPA音響はまあ許せても、一応クラシックオーケストラをPA装置主体で聴くなんて、想像はしなかった。
ミクの声も、スクリーンサイドのSPからの音ではなく、ステージ袖の目の前のSPから聞いたのだった。
あまりのことに愕然としてしまったのだった!
 
サンドイッチの昼食後、東銀座のサウンド・クリエイトに行った。
 
ブロッドマンのJB175があった。
間接音のい優雅な良い音がしていた。
LP12も置いてあったので聴きたいといったら、今音を出せる状態ではないという。
残念だった。
B&Wの最新型をデジタルアンプでも聴いた。
これで良いんじゃないかと思った。
ビンテージSPでごたごたするのはあほらしいかもしれない。
 
お店を出て銀座を有楽町駅まで歩く。
天気は快晴で、昨日までの雨は今日のためにあるのかも思った。
銀座は交通規制されて歩行者天国になっていた。
山高帽のちょとキザな紳士が婦人と歩いていく。
ニューヨークなら景色に合うと思ったが・・・。
そういえば、昨夜広尾の駅を地上に出て歩いていると、ランボルギーニのディーラーに何台ものヤツが鎮座していたっけ。
さすが、西麻布。
 
羽田の待合所でコッペリウスのパンフレットを読んだ。
冨田さんの無くなる前後の関係者の告白が胸に響いて、思わず涙がこぼれた。
 
時間の経過は、冨田さんの完結を待たなかった。
大いなる宿題を残して旅立った。
 
 
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松山までの空は、下界がぼんやり霞んだままだった。
 
飛行高度はやや低かったようで、雲の浮かぶ帯域を掠めるようで、こまかい震度やゆれがあった。
 
時間通りに松山着。6時からの高校同窓会ANAホテルへと急いだ。
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