いろは丸始末 / 伊予市の魅力 ふるさと再発見

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坂本龍馬没後150年記念 文化講演会
講師:渋谷雅之 徳島大学名誉教授
5月13日 午後3時
伊予市 生涯研修センター さざなみ館

2011年に「豊川渉の思い出之記」出版記念講演があったが、その続編のつもりで聴講した。

2011年の出版物の原本は完全ではなく、多くの欠損部分があった。
今回は、沼津の子孫邸の仏壇のしたから見つかった原本をもとに考察したものらしい。

いろは丸は紀州藩の明光丸と衝突して沈没した。
どちらの操船ミスで事故が起きたか、その全貌が明らかになった。
今までは、双方譲らず、衝突原因は相手方にあると主張していたが、
今回の資料によると、
いろは丸の操船ミスによって事故が起きたらしい。

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蒸気船の舷側には赤灯と緑灯が着けられていて、衝突回避の手助けになっていた。
相手の赤灯を左に見ながら右側通行するのが決まりだった。
いろは丸は緑の矢印方向に舵を切らなければならなかったが、
何らかの原因で衝突コースに入ったらしい。

明光丸の操船技術にも問題があり、
一度目の衝突のあと後進をかけたが、
再び前進をかけて二度目の衝突をした。

今も昔も変わらず、自分に都合のよいうそをでっち上げて、
相手を非難していたらしい。

いろは丸沈没の責任は、いろは丸にある!
という結論が今回の資料で判明したという。


幕末維新の歴史に詳しい郎女女史が聴講しているかもと見回したが、
それらしい人は居なかった。

およそ50名の聴講者だった。
主催は人数の見積りが甘くて、資料増刷にあたふたしていた^^;)。

上の写真の左下の集合写真の左前の人物が豊川渉だそうな。
ブーツを履いてこうもり傘を持っている。
当時最新のハイカラ出で立ちという。
ブーツは船員のデフォルト衣装だそうな。
龍馬がブーツを履くのは、そういう理由があるらしい。