冨田勲 お別れの会 挨拶

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冨田勲 お別れの会
親族代表 挨拶 : 冨田勝

本日は大変お忙しいところ、父冨田勲のお別れの会にお越しくださいまして誠に
ありがとうございました。
冨田勲の音楽を愛してくださった方々、
冨田勲といっしょに仕事をしてくださった関係者の方々、
そして親しくお付き合いしてくださった方々に、心より御礼申し上げます。

父は先ほどご紹介もありましたけれども、倒れる直前まで創作意欲満々でおりました。
そして家族には冗談で
「いやあ、11月までは死ねなくなっちゃったよ・・」
と悪戯っぽく言っておりました。

父は最近、低血圧のため、時折立ち眩みの様にふっと意識が薄れるということはよくあり
ました。なので今回倒れた時も、父の意識は徐々に薄らいで行ったと思いますので、また
いつか、いつものように意識が戻ると思っていたと思います。
そういう意味では、父はまだ自分が亡くなったことに気付いてないというふうに思います。
 
皆様のお手許にお配りしたもののなかに冨田勲の言葉がございます。
「渡り鳥が危険を冒してまで海を渡るように、やらねばならぬことは人それぞれある。
私の場合は、それが音楽だったのです。」
これは冨田勲が82歳の時の言葉でした。

父はこうも言っていました。
「蝶の中には何世代もかけて大陸間を移動するものがいる。」

ってことは、一世代目二世代目の蝶は、目的地に到達する前に寿命が尽きることを知って
いながら飛び続けることになります。
「これは生物学的にどういうことなのか?」とよく私に尋ねました。
 
将来、人類が別の宇宙の別の銀河系の星に移動する時も、何百年何千年という時間が掛か
りますから、人ひとりの寿命では足りず、何世代も掛けて宇宙船で生活することになるん
だという父の言葉も忘れられません。
 
父はまだやりたいことが二つあると言っていました。
ひとつはいうまでもなく「ドクター・コッペリウス」ですが、
もうひとつのやりたいことというのはなんだったのか、
正確には私達には分かりません。
冨田勲の最後の夢とは、
トミタサウンドの理想の宇宙を次世代に引き継いで、
さらに発展、進化してもらいたかったのかも知れません。
 
今、そんな父がおそらく一番みなさんにお聴きいただきたいと思っている曲は「イーハト
ーヴ交響曲」の中の「銀河鉄道の夜」です。宮沢賢治の童話の中で銀河鉄道は亡くなった
ものの魂を天国に運ぶものとして描かれています。そしてこの曲の中に、冨田勲作詞の讃
美歌が出てまいります。どういう気持ちでこの詩を作ったのかわかりませんが、
その一節とは
「もうよい、お前のつとめは終った。その地を離れてここにおいで。永久に平和に暮らしましょう。」
というとても意義深いものです。
 
このあと皆さんにお聴きいただきますけれども、曲が終わりましたら父に盛大な拍手を
どうぞよろしくお願い申し上げます。
 
本日はお出でいただいたお一人お一人に心より感謝を申し上げ、
親族代表としてのご挨拶
とさせていただきます。
 
本日は本当にありがとうございました。