大阪迷い旅
姪の結婚式に出席するために大阪に行った。
挙式は午前、披露宴は午後というわけで、大阪前泊にした。
荷物はクルマで行くと言う弟に預けた。
松山発しおかぜ12号で瀬戸内海大橋を渡る。
正午過ぎに岡山着。
ひかり470号で西明石まで。
神戸線で明石へ。
明石の明石天文科学館へ、プラネタリウムを見に行く。
40年ぶりだ。
新幹線の走行中、駅弁の栗おこわを食べながら窓外をみると、見慣れぬものを見つけた。
軌道の中央に金属のチャンネルが設置されているのである。
いつごろからだろうか?
駅ホームに近い停車する線路には設けられて無い。
3mごとに金具で押し広げられるように固定されているのである。
なにかの補強には違いないが、よく分からない。
地震対策の強化構造かもしれない。
走行中のレールを見ていると、車輪タイヤとの接触面は、ほぼ上面中央になっているのがわかる。
在来線は、レールの内側が接触していることが多い。
車輪のタイヤは円筒形にはなって無い。
円錐形になっている。
理由は、カーブを通過する際の内輪差を吸収するためだ。自動車なら差動ギアがあるが、鉄道には無い。
タイヤが円錐形のため、直線路では蛇行が生じる。
新幹線では、円錐がゆるくなっていて、蛇行を少なくしている。
そればかりでは無いだろうが、直線路のレールを見ていると蛇行は起きてもタイヤの鍔は軽くしかレールに当ってないようだ。制動装置がついているのだろう。
40年ぶりに明石駅に降りる。
駅前のお堀端を東に歩いていく。
見えると思っていた科学館の時計塔は見えない。
40年前は如何だったか思い出せない。
東に行けばあるはずなので(JRの電車からは良く見えるから)適当に歩いていく。
不思議なことに、案内看板らしきモノは無い。
「市立文化博物館」の案内板は見かけるので、その一角に天文科学館はあるのだろうと推測して歩いていく。
ところが、博物館を過ぎても時計塔が見えない。
適当に北へ行くが、あちこちにある町内地図にも天文科学館は無い!!
仕方なく、向こうから歩いてきた私と同年の夫婦連れに訊く事にした。
夫婦は、途中まで同伴で教えてくれることになった。
ありがたい!
左図の右上交差点からカーブを道なりに下っていくと科学館はあるそうだ。
お礼を言って分かれた。
少し下ると、塔の先端が見えた!
久しぶりの天文科学館。
当時、どうやってここに来ていたか、記憶が無い。
駅から歩いたはずだが。バイク(CB350FOUR)だったかもしれない。
明石に二年間住んでいたのに、忘れることは忘れるのだった。
東経135度 子午線上に建てられた時計塔。
最上部には望遠鏡ドームがある。
阪神淡路大震災のときは、倒壊は免れたが、電気系統のケーブルが切断されて時計は不動になってしまった。
現在は、二代目の時計が掲げられている。
震災前は、塔は二重構造になっていた。
内部エレベーターの動作振動が塔頂の望遠鏡に伝わらないようにするためだ。
現在は、カーボンファイバーで補強され、一体構造の強固な構造になっているそうだ。
エレベーターの振動は、エレベーターの改良により、振動が少なくなっているので、影響は少ないそうだ。
実際に乗ってみても、実に静粛に動作しているのが分かる。
新幹線もずいぶん横揺れが少なくなったし、技術は確実に進歩しているのである。
展望台からの須磨方面を望む。
明石海峡大橋の絶好の観望ポイントだ。
中学生の夏休み研究の発表展示が中心軸周りにある。
目を引いた研究発表は、これだった。
一瞬、ギョッとした研究表題。
「性転換」!!!???
よく見ると、交換性「転向」反応 であった^^;)
左右交互にジグザグに進む習性についての研究だった。
ひとつ利口になった。
何食わぬ顔で通り過ぎていく来館社諸君^^;
下に見えるはプラネタリウムドーム。
午後2時半からの投影を見るために、今度は階段を下っていく。
久々のプラネタリウム。
リクライニングシートに身を預けて、投影を待った。
やがて夕刻の状態から暗くなったドームに星星が現れてきた。
ところが、白っぽい空に淡く星が投影される状態が続く。
一体どうしているんだ!!と待っていると、アナウンスが「街明かりを消してもらいましょう。しばらく眼を閉じてくださいね」と言った。
「そう来なくっちゃ!!」
私は、目を開けたまま、観察^^)
「さあ皆さん、目を開けてください」
漆黒の空に満天の星!!
静かな感動のため息がドームにこだました(?)のであった。
多分、解説者にとって、これがいちばんの楽しみではないかと思う。
当日の投影は、キトラ古墳に描かれた星座について過去の星空の話だった。
地球は自転しているから、星空は時間と共に動いていく。
地球の自転はコマと同じで、味噌擂り運動をする。
すりこ木運動ともいう。
それをプラネタリウムの多軸構造で表現できるのだ。
天文学ではすりこ木運動で現れる星空の変化を「歳差」という。
なんと、「歳差」は、初音ミク「『SPiCa』に歌われているのである。
館内には妙な構造物が露出している。
写真の奥の入り口も四角形の角が斜めだ。
これは地震対策の補強構造であって、40年前には無かった。
そのへんのことを丁度事務所の前だったので訊いて見たら、詳しいひとを呼びますからといって、呼んでくれた。
技術関係の人だった。
40年前の当時の話や、今日の投影についても感想を述べた。
「もうちょっと、夕陽(夕焼け)の演出を鮮やかにして欲しいです。漆黒の星空は出ないのか、はらはらしました^^;」
帰りはJRのガード伝いに明石駅に戻った。
ホームに出て、天文科学館を望む。
周囲に家が増えて、地表に降りると見えなくなってしまうとは、思いもしなかった。
案内板が無いとはどうしたことか!
市役所に、案内板設置をお願いするとしよう。
この後、新快速で大阪へ。
地下鉄を乗り継いで日本橋のオーディオショップへ行く。
以下、オーディオ欄へ。
ショップを出て、御堂筋線を新大阪へ。
宿泊はレムホテル。
駅の外に出るとばかりに思っていて、歩き回るが出口が・・見当たらない!
仕方ないので、暇そうだった緑の窓口で聞いてみた。
「右側に少し歩いて、そこを右に曲がってすぐですよ」
やっと見つかった。
駅ビルの12階がホテル受付だった。
受付で私あての荷物があるという。
弟に預けたスーツバッグその他だった。
部屋は同じ12階。
予約はかなり早い段階で行ったのだなあとおもった。
シャワーを浴びて、さて寝るかと思いながらTVを点けると
さだまさしが、動画(ビルの爆破処理)をみて音楽をつけるということをしていた。
一通り見て、
就寝。
翌朝、朝食に降りていくと、弟達が食事していた。
和食を食べていると「これだけしか食べないの?」と弟が言う。
「式服のズボンがきついので、食べたくないのが本音だ」と返事。
部屋に戻って、着替えてみると、思ったほど今日はきつくなかった。
先般の葬儀のときは、きつく感じたのに。
10時に受付前に集まって、駅近くの式場に行く。
弟は今朝方、周囲をジョギングしてきたそうで、ビルから出て歩道橋を渡っていくと便利だという。
ところが、ビルから歩道橋へ出るのに階を下がったり上がったりで、
なんのこっちゃ!!
今日は、久々の晴天だった。
清々しい午前中の陽を浴びながら式場に近付く。
人が集まりかけている。
こんなに時間的余裕を持っていくのはあまりないことであった。
式は、キリスト教式であった。
白壁のチャペルにはパイプオルガンが備え付けられ、実際に奏者が演奏していた。
聖歌隊も居た。
神父さんの声が良く通るものだと思っていたら、
どうもピンマイクをつけている。
開式が告げられ、前奏が始った。
弟(新婦の父)がエスコートした新婦が後背の高い位置にあるベランダに現れた。
そして、新郎の待つ祭壇正面まで参会者の間(所謂バージンロード)を歩いていく。
そう、ここで初めて、新郎の姿を私は知ったのだった^^;)。
一同合唱
プログラムには楽譜、歌詞が印刷されていた。
どんなメロディーか・・・・・ええっと!!
と思ったが、前奏ですぐに分かった。
一同も、おそらく全員が歌ったと思う。
私はバスパートのつもりで歌ったのだった!
祈祷
聖書朗読
誓約
指輪交換
署名
結婚宣言
祝福の歌
祝祷
奏楽
新郎・新婦 退場
後奏
祝福の歌は、ソプラノ独唱から始まり、バスが加わり、合唱となった。
実に良かった!!
神父の声はSRされてたが、あのチャペルなら、
全部、生の声でいけると思った。
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祝福の歌は
アメイジング・グレース
だった。
チャペルから出て、
新婦のブーケ・トスとかがあって盛り上がり、
披露宴前のウェイティング・パーティーとか
なかなか盛りだくさん。
新郎新婦の友人どもは大いに飲んでいた^^;
披露宴は、所謂媒酌人の居ないパーティーだった。
最近の披露宴は、若者中心の懇談パーティーだなあとおもう。
田舎の和式婚礼とはちがう。
数人のオッサンが、何も余興が無かったねえ、と言ってた。
人物紹介ビデオは自分達で編集してるし、
友人達も、独自でDVDを作って来ているし・・・。
司会の隣にクリスタル・ピアノ(カワイ製)が置いてあって、
・
置いたままだった^^;)
これが残念といえば残念だったなあ。
次は何年後だろうか?
少なくともあと4人控えているからなあ・・・。
帰りは弟の車で帰る。
新大阪から明石海峡を渡るまで、カーナビに先導されながらも
何回か間違ってしまったのだった。
無事帰宅!