分からない政治家、メディアの論理

自衛隊が「探したが無い」と言っていた日報が見つかったと言う。

「探索が不十分だったことは間違いない事実で、深くお詫び申し上げる」
という。

不思議なのは、書いた本人がどこへ仕舞ったか忘れるはずはないと思うけどなあ、
と言うことである。

「私が日報を書いたのだけど、何処にやったかわすれてすみません」
と言うことがあったのならば、まあ、分かる。




北朝鮮拉致問題で、北朝鮮側が
「まだ日本に返してない日本人が居るかも分からないので、調査機関を作って調べてみる」
と言った。

分けの分からないことを言うなあと私は思った。
いつ誰を何処で拉致して何処に住まわせ(何処に監禁し)ているのか、記録が無いらしい言い方だなあ。
まるで、北朝鮮以外の国が拉致しているのでこれから調べる、という言い草だ。
北朝鮮の内部に(物理的、精神的に隔たれた)治外法権的場所があって、
そこに踏み込むために調査機関を作る。

ばかを言えと思った。
金正日に訊けよ、あいつなら知っている。
または、拉致機関に訊けよ。



日報は見つかりませんでした、というのはまるで、
日報を書いたか書かなかったかわからないまま
探したけど見つからなかった。
そんな状況が普通に承認されているというか、
それが前提で事が進んでいるみたいだ。

日報を書くというのは、日常業務の筈だから、
書いた本人に聞くことが手始めじゃあないだろうか。

あったり前過ぎて、それはやっての大騒ぎなんだろうか。