羊と鋼の森 二回目


映画「羊と鋼の森」を観た。
二回目。
パルムドールを受賞した「万引き家族」ががっかり賞だったので、
その前に見ていい映画だと思った本作を、本当にいい映画だったのかと検証する気持ちもあった。
ピアノの音の再現性が本編の胆だと思ったので、上映館を替えてみた。

二回目のほうが、感動した。
意外だった。

一度目には分からなかった台詞の意味が分かった。

主人公よりヒロインのほうが重要だと言うのはうすうす感じていた。
ヒロインは姉妹の姉で、姉妹の関係性が物語の進展に伴って変化する。
関係性が変化するのは、物語の構成では定石かもしれない。
それに気付いて、
主人公も兄弟であり兄である設定に、ヒロインとの対照的な展開が作りこまれているかもしれないと、
注意してみたが、そうでもなかった。

五人登場するピアニストのうち、家族を失った青年のエピソードに打たれたのは一回目。
かんがえてみれば、あまりにベタな展開だ。
誠に演劇的・映画的な演出。
クソ演出。
しかし、二回目もやられてしまった。

万引き家族」の女優が泣く演技が激賞されているけど、
あんなもん、日本のTVドラマに嫌と言うほど在ると思う。
「思う」というのは、あんまりドラマ、見ないから^^;)。
あれは、台詞がないからいいのかもしれないと思った。

二回目もやられた青年のエピソードも、青年に台詞は無い。

調律するとき、最初にラの音を「ポ~~~ン」と弾く。
後半に主人公がその音を出すシーンにゾクッとしてしまった。
昔のアナログ上映では、どうなっていただろうか。
デジタル上映では、画面の揺れは起こらないし、
音程のワウフラッターも無い。
上映館内の暗騒音と館外からの騒音のみの中に
ポ~~ン、と響く。

物語の後半、主人公上司の結婚披露宴でピアノ姉妹の姉がピアノを弾く。
そこで姉は、プロのピアニストになる決意をする。
何故かそのピアノの音に高調波ノイズが乗るのである。
それは一回目の鑑賞にも感じたので、二回目を別の上映館で見たいと思った原因でもあった。
これは収録時に入った音だと思う。
別に、耳障りと言うことはないが、これが無いほうがいいと断言できない。

五人のピアニストがそれぞれピアノの音についてあれこれ言う。
一人は、言わなかった・・・のだが。
そのあれこれを調律士が応えて提示する。
分かったようで分からない。
自信を持って言えない(感知出来ない)。

クラシックのプロ演奏家がホールで演奏する場面がある。
何処のホールだろう?
客席はかなり急峻な階段状で、壁面は柱状節理のような凸凹がある。
カメラが凄かった。
右手左手の手許を写すのだが、近接撮影のため焦点深度が浅い。
それを、主旋律を追って前後に焦点を変えるのだ。
演奏は良く分からないが、
音自体はオーディオ的にまあまあの出来だったなあ・・・。
ピアニストは何者だ?と思ってエンドロールを注視した。
カタカナで書かれていたのが本人だろうと思うが、
覚えられなかった。
苦手だなあ。

そういえば、
劇中で主人公に、どんな音を目指して調律していますかと訊かれた三浦友和演じる名人が答えていう言葉。
或る詩人の文章心得。
これがなかなか含蓄のある文章なのだが、わたしには覚えられない。
主人公は、もう一度言ってくださいとお願いして手帳に書き取る。
私には無理だ。

痕跡が記憶に残るが、どこかに出てないかなあ・・・。
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松山では上映は19日まで。
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万引き家族」は新聞文化欄に専修大学教授の岡田憲治氏がほめた文章を書いている。
「市井が紡ぐ現実 丁寧に」

先日の芸能欄には業界関係者座談会には、
「重く共感しづらいけど、お客さんが入っているのはうれしい」
と書いている。
正直だと思う。

万引き家族」は市井の底流のさらに底を描いていた。
万引きを遊びでする屑。
死者に敬意を払わない。

羊と鋼の森」は、ピアノのある上流を描いていた。
取り組む芸術は、遊びの延長かもしれない。
そういえば、死者の弔いシーンがあった。
なんであんな荒野でと思ったが。


正に同時期に描かれた対照的な作品。

エンドロールに流れる曲は、どこかで聴いたようなフレーズがある。
そうだった、被災し・・ちがう、久石譲作曲、ピアノは辻井伸行だった。



この作品は、雑誌Hi Vi なんぞで取り上げられるだろうか?
五味康祐が生きていたらなんと言うだろう。

ピアノ姉妹の部屋だったか、オーディオセットが一瞬映る。
トリオのFMチューナー ?
上杉のプリアンプ ?