遊子(ゆす) 石応(こくぼ)
宇和島津島町の半島を巡った。
津島の道の駅でトイレ休憩。
加山雄三を一回り小柄にしたおっさんが「中年ライダーが居た居た」といいながら話しかけてきた。
昔、ハーレーに乗っていたとか。
K100は初めて見るらしかった。
津島大橋の手前を右折して南楽園方面に走る。
海岸沿いを、適当に走っていく。
掛網代の行き止まり。
造船所の前にバイクを止めて突端まで歩くと、観音像があった。
像の寄進者名に「兵頭」という名前が有った。
やはり、この辺りに多い名前らしい。
隣の入り江に行くには、トンネルを抜けることが多い。
標高は、上がったり下がったり。
見えるのは、柿之浦、神埼らしい。
目的地の遊子の西側に当たる。
行き止まりまで行ってみる。
行き止まりを引き返して、トンネルを抜けて半島東側に入る。
遊子の看板を見て、下っていく。
斜面の段畑が見えてきた。
大型観光バスが停まっている。
段畑を見上げながらアップルパイで腹ごしらえ。
半島をさらに西へ。
細木運河の橋を渡る。
ここは昔は左側に吊り橋が架かっていたようだ。
行き止まりまで行ってみる。
写真では広そうに見えるが、ここでバイクの方向転換をする時、怖かった。
ここはCB550FOURで来たことが有るのだが、ほとんど記憶が無い。
350時代だったかもしれない。
宇和海沿岸には、半島部分に運河がいくつもあり、それがごっちゃな記憶になっている。
半島からの帰りに遊子の段畑を望む。
この風景は、以前の細木運河からの帰りに見たはずだけど、当時の記憶は一切無い。
まだ「遊子の段畑」として有名になっていなかったからだろう。
実際に、近くに行って見上げなくては分からない。
宇和海沿岸の県道を淡々と走ると学校校舎が見えてきた。
石応(こくぼ)小学校である。
なんで読み方を知っているかというと、遠い昔に、ここの体育館に工事で入ったことがあるからだ。
当時は松山から四時間くらい掛かっただろうか。
土曜日だから人気が無いのではない。
閉校になって数年が経っている。
なんとなく、子供の声がする。
歴史が書かれた碑文は、この校歌の裏側に刻まれていた。
昭和52年3月に体育館落成とある。
このときに、ここに工事に来ていたと思われる。
窓越しの写真で見難いが、ステージ両サイドのコラムスピーカーを取り付けに来たのだった。
やけに小さく見える。
改修されている事はないと思われるが・・・。
陶製(?)の二宮金次郎
閉校から六年が経過した校庭。
写真を撮っていると、遊んでいた子供が「こんにちは」と言いながら駆け寄ってきた。
ヘルメットを取ると「なんだ、じいちゃんか!」というではないか!!
まあ、君に比べりゃ、半世紀以上生きているからねえ。
「なにしているの」というから、子供のつれの青年が「思い出に浸っているのさ」という、、、おいおい!
工事に来た時には、手前の鉄筋校舎は無かったと思う。
40年も昔の話だ。
広くなったり狭くなったりだが、交通が少なくゆったり走れる。
次回は宇和島から津島までの反時計回りで走ってみよう。
宇和島からはいつものルート。
無事帰宅。